筋力トレーニングは脳にも効く:記憶力・注意力・判断力への影響を科学的に検証
高齢化に伴う認知機能の低下(記憶力や注意力の衰えなど)は重大な課題ですが、筋力トレーニング(レジスタンストレーニング)がこの問題に有効かもしれません。
従来、認知機能維持の運動と言えば有酸素運動が注目されがちでしたが、近年の研究は筋トレにも脳への好影響があることを示しています。
今回は全年齢層(特に高齢者)を対象に、筋トレが記憶力(エピソード記憶・作業記憶)、注意力(持続的注意・選択的注意)、そして判断力(実行機能)に与える影響について、最新の科学的エビデンスをわかりやすく整理します。
筋トレと記憶力の関係:エピソード記憶・作業記憶の向上
筋トレが記憶力を改善するという報告が複数あります。
例えば、ブラジル・サンパウロ大学の研究(2007年)では、平均65歳の高齢者に24週間のレジスタンストレーニングを行った結果、言語的短期記憶(数字の暗記テスト)や空間的作業記憶(ブロックタッピング課題)が有意に向上しました。
また視覚的エピソード記憶である図形の記憶力(複雑図形の即時想起テスト)も改善が見られています ( Medicine & Science in Sports & Exercise )。
興味深いことに、この研究では筋トレによって脳由来神経栄養因子(BDNF)の分泌を促す成長ホルモンIGF-1の血中レベルが大幅に上昇しており、これが記憶力向上の一因と考えられます(IGF-1は血液脳関門を通過して脳内で神経細胞の成長を促進します)。
カナダのブリティッシュコロンビア大学によるRCT研究(2012年)では、軽度認知障害(MCI)のある高齢女性に週2回・6か月間の筋力トレーニングを行ったところ、顔と場所の組み合わせを覚える課題(連合記憶)が有意に改善しました。
同時に、脳の海馬や視覚野の一部で記憶に関連する脳活動の増加が確認され、その変化量が記憶力の向上度合いと相関していたことも報告されています ( Resistance training promotes cognitive and functional brain plasticity in seniors with probable mild cognitive impairment: A 6-month randomized controlled trial - PMC )。
つまり、筋トレによってエピソード記憶をつかさどる脳回路の可塑性が高まり、記憶力が改善した可能性があります。
また、作業記憶(ワーキングメモリ)についても恩恵が示唆されています。
前述の2007年の研究では数字スパン課題が向上したほか、カナダUBCの別の試験(2010年)でも1年間の筋トレを行った高齢女性で数字の順唱・逆唱テスト(作業記憶の指標)が改善傾向を示しました ( Resistance Training and Executive Functions: A 12-Month Randomised Controlled Trial - PMC )。
2022年に発表された18研究のメタ分析でも、高齢者の短期記憶は筋トレ介入によって有意に改善することが示されています(特に認知機能が正常な高齢者で効果が顕著でした)。
さらに中年層でも、長年の運動習慣を持つ人は持たない人に比べ記憶検査(自由再生テストなど)の成績が良好で、これは運動によるBDNFやカテプシンBといった神経成長因子の変化と関連していたと報告されています (Long-term exercise training improves memory in middle-aged men and modulates peripheral levels of BDNF and Cathepsin B | Scientific Reports)。
以上より、筋トレはエピソード記憶・作業記憶の双方にプラスの効果をもたらしうると言えます。
筋トレと注意力の関係:選択的注意・持続的注意への影響
注意力(集中力)も筋トレによって改善が期待できます。
選択的注意とは数ある情報から必要なものに集中する能力ですが、これに関する代表的なテストであるストループテストの成績が筋トレで向上することが示されています。
カナダUBCの研究チーム(2010年)は、65~75歳の女性155名を対象に1年間の筋力トレーニング群と対照群を比較しました。その結果、筋トレ群ではストループ課題での反応時間が約10〜13%高速化し、対照群ではほぼ変化がなかったと報告しています。
週1回の筋トレでも効果が出ていますが、週2回行った群ではさらに注意力が改善する傾向が見られました 。
この選択的注意力(干渉処理能力)の向上は、現実生活で言えば「雑音の中から必要な情報に素早く注意を向ける力」の向上につながるでしょう。
また持続的注意(長時間にわたって注意を維持する能力)についても、筋トレが好影響を与えるエビデンスがあります。
先の2007年の研究では、高強度の筋トレを行ったグループで持続注意テスト(Toulouse-Piéron検査)のエラー数が顕著に減少しました。
これは長時間集中して作業を続ける力が高まったことを示唆します。さらに、筋トレは即時的な注意力アップにも寄与します。
若年成人男性を対象とした研究で、80%1RMの高強度スクワットを数セット実施した直後に認知テストを行ったところ、計算処理や符号変換といった課題の処理速度が運動前より明らかに向上しました。
このように短期的にも長期的にも、筋トレは持続・選択両面の注意力を高める効果が期待でき、高齢者から若年者まで幅広い年齢層でその恩恵が確認されています。
筋トレと判断力(実行機能):意思決定や問題解決能力への効果
判断力とは、状況に応じて適切に考え意思決定する能力で、実行機能とも呼ばれる脳の高次機能です。
筋トレはこの実行機能全般にも良い影響を及ぼします。
例えば、前述のブラジルの研究(2007年)では抽象的な推論力を測るWAIS検査の「類似」課題において、筋トレ群が有意な成績向上を示しました ( Medicine & Science in Sports & Exercise )。
これは論理的思考力や概念形成力の改善を意味します。
また、実行機能の一部である認知の柔軟性や課題切り替え能力についても、筋トレ群で向上が報告されています(例えばトレイルメイキングテストBの成績向上が示唆された研究があります)。
高齢者の日常的な問題解決能力にも好影響があり、バランス訓練のみを行った対照群と比べて筋トレを行った群の方が日常生活上の問題解決テストで良好な成績を収めたとの報告もあります 。
さらに全体的な認知機能について見ると、2022年に発表された系統的レビューとメタ分析研究でも、筋トレによって高齢者(認知機能が正常な群と軽度障害のある群の両方)で総合的な認知機能スコアが有意に改善することが確認されています (Resistance training improves cognitive function in older adults with different cognitive status: a systematic review and Meta-analysis - PubMed)。
例えば、ある研究では認知症リスクが高いMCI高齢者に筋トレを6か月実施した結果、介入後18か月時点でも認知機能全般の低下が抑制されたことが報告されました (Strength training can help protect the brain from degeneration - The University of Sydney)。
このように、筋トレは判断力や実行機能を含む認知能力の維持・向上に寄与し、高齢者の自立度や意思決定力を支える可能性があります。
脳の構造・生理学的メカニズム:なぜ筋トレで脳が良くなるのか?
筋力トレーニングが認知機能を高める背景には、脳の構造変化や生理学的メカニズムの改善が関与しています。
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脳構造への影響: 筋トレは加齢や認知症で萎縮しがちな脳部位を保護・改善します。オーストラリア・シドニー大学の研究(2020年)では、MCIの高齢者に週2〜3回の高強度筋トレを6か月間行ったところ、記憶中枢である海馬の体積減少が著しく抑制されました。
対照群では18か月間で海馬下位領域が3〜4%萎縮したのに対し、筋トレ群では1〜2%の微減に留まり、領域によっては萎縮が全く見られなかったのです。
さらにMRI解析から、筋トレ群は海馬の萎縮抑制と認知機能維持の関連が示されており、研究チームは「レジスタンス運動を認知症予防の標準戦略にすべき」と述べています (Strength training can help protect the brain from degeneration - The University of Sydney)。
また、別のレビュー研究(2024年)でも、筋トレは6か月以上・週2回以上の頻度で継続すれば、アルツハイマー病に関連する脳の構造変化(海馬萎縮や白質変性など)を逆転させ、認知機能を改善し得ると示唆されています (Does resistance training in older adults lead to structural brain changes associated with a lower risk of Alzheimer's dementia? A narrative review - PubMed)。
つまり、十分な頻度と期間の筋トレは脳の構造的な健康度を高めるのに有効だと言えます。
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神経伝達物質・成長因子: 筋トレは脳内の神経化学物質の環境を整えます。運動により脳由来神経栄養因子(BDNF)が増加し、海馬や皮質でのシナプス形成や神経新生を促すことが知られています (Long-term exercise training improves memory in middle-aged men and modulates peripheral levels of BDNF and Cathepsin B | Scientific Reports)。
実際、運動習慣のある高齢者では安静時のBDNF値が高く、記憶力も良好であるとの報告があります。
さらに筋収縮で分泌されるカテプシンBという分子も注目されており、これは血流を介して脳に入りBDNFの発現を誘導して記憶を改善するとされています (Long-term exercise training improves memory in middle-aged men and modulates peripheral levels of BDNF and Cathepsin B | Scientific Reports)。
4週間のトレーニングで血中カテプシンBが増えた量は、若年者において海馬依存型の記憶力向上と相関するとの研究結果もあります (Long-term exercise training improves memory in middle-aged men and modulates peripheral levels of BDNF and Cathepsin B | Scientific Reports)。
加えて先述の通り、筋トレはIGF-1といった成長因子の分泌も促します 。IGF-1は脳内でBDNFと相互作用し神経細胞の生存や可塑性を高めるため、筋トレによるIGF-1増加は記憶や学習能力の底上げにつながります。
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炎症の抑制: 筋トレは慢性炎症の軽減を通じて脳を守ります。
加齢に伴う慢性炎症(いわゆる炎症性老化)は認知症リスクを高めますが、2017年の研究では平均83歳の女性に対しゴムバンドを用いた筋力トレーニングを28週間実施しました。
その結果、抗炎症サイトカインのIL-10が増加し、一方で炎症促進物質のTNF-αやCRP(C反応性蛋白)は対照群で悪化したのに対し筋トレ群では増加しませんでした 。
同時に筋トレ群では全身持久力や筋力が向上し、簡易認知機能検査(MMSE)のスコアも有意に改善しています。
研究者らは「筋力トレーニングにより炎症促進と抗炎症のバランスが改善し, 認知機能プロファイルが向上した」と結論づけています ( Strength Training Decreases Inflammation and Increases Cognition and Physical Fitness in Older Women with Cognitive Impairment - PMC )。
慢性炎症が抑えられることで脳への有害なサイトカイン信号が減少し、認知機能の低下が食い止められると考えられます。
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ストレスホルモンの調節: 筋トレはストレスホルモンであるコルチゾールの慢性的なレベルにも影響します。
過度なコルチゾールは海馬を萎縮させ記憶力を低下させますが、幸い筋トレによってこの悪影響を軽減できる可能性があります。
あるレビュー研究では、高齢男性が16週間のレジスタンストレーニングを行った場合、後半8週間で安静時コルチゾール値が有意に低下したと報告されています (Influence of chronic exercise on serum cortisol levels in older adults | European Review of Aging and Physical Activity | Full Text)。
これは筋トレ継続により身体のストレス反応が適応し、慢性的なコルチゾール負荷が減ることを示唆します。
また筋トレは先述のように不安感や抑うつ症状の軽減にも効果があり、精神的ストレスの低減を通じて間接的に認知機能を守る役割も期待できます。
実際、適度な運動習慣のある高齢者ほどストレスホルモンのバランス(コルチゾールとDHEAの比率)が良好であるとの報告もあります (Aerobic exercise increases cortisol awakening response in older ...)。
総じて、筋トレはホルモン環境を整えることで海馬など脳組織のストレス障害を予防し、認知機能の維持に貢献すると考えられます。
まとめ:筋トレは「心身の筋力トレーニング」
筋力トレーニングは単に筋肉を鍛えるだけでなく、脳の構造と機能をも鍛える可能性があることが科学的に示されつつあります。
記憶力(エピソード記憶・作業記憶)、注意力(選択的・持続的注意)、判断力(実行機能)の各側面で、筋トレによる改善効果が報告されています。特に高齢者においては、定期的な筋トレが認知症のリスク因子を減らしうるとの期待も高まっています 。
これらの効果は、筋トレによる脳内の神経栄養因子の増加、炎症の抑制、ストレスホルモンの低減、さらに海馬をはじめとする脳構造の保全といった生物学的メカニズムによって支えられています。
重要なのは、筋トレの効果を得るには継続と適切な強度が鍵だという点です。研究からは週2回程度の筋トレを6か月以上続けることで最大の認知機能効果が得られる可能性が示唆されています (Does resistance training in older adults lead to structural brain changes associated with a lower risk of Alzheimer's dementia? A narrative review - PubMed)。
もっとも、高齢者の場合は安全面に配慮し、専門家の指導のもとで無理のない範囲から始めることが推奨されます。幸いWHO(世界保健機関)も高齢者の健康維持のために筋力トレーニングを推奨しており、それは身体機能だけでなく認知面にも好影響を及ぼすためです。
最後に、筋トレは「心身の筋力トレーニング」であると言えるでしょう。適切な負荷をかけて筋肉を鍛えることで、脳のネットワークに刺激を与え、新たな神経回路の形成やホルモン分泌を促します。その結果、記憶力や注意力が研ぎ澄まされ、判断力が向上する――これは単なる理論ではなく、各国の研究で実証されつつある事実です。年齢に関係なく、筋力トレーニングを生活に取り入れることは脳の健康を守る有力な戦略になるでしょう。
参考文献・出典: 筆者作成の本記事は、最新の学術論文やレビュー (Resistance training improves cognitive function in older adults with different cognitive status: a systematic review and Meta-analysis - PubMed) ( Medicine & Science in Sports & Exercise ) (Strength training can help protect the brain from degeneration - The University of Sydney)を基に構成されています。筋トレと認知機能に関する詳細な研究例については、下記の引用元やリンクもぜひご参照ください。